喋る言語によって、性格が変わることってありませんか?
私はあると思います。
日本語では遠慮しがちになったり、引っ込み思案になったりしがちなんですが、
英語になると途端に積極的に自分のことを話し出したり、どこか陽気になったり…笑
一方中国語では、とにかく話して自分のことをわかってもらおうと奮闘したりしちゃいます。大胆になるというか、ポジティブ元気!いけいけドンドン!になります笑
それは発言することで少しでもわかってもらえるだろう、という楽観的な希望があるからだろうと思います。特に中国語は言語自体が大らかなイメージ。
フランス語については、まだまだ自由に自分のことを言うだけの流暢さがないのでわかりませんが、きっと少しだけ慎重になったり、よく考えてから自分の意見を組み立てて言う感じになるのかなぁと思います。
そして、表題に翻って芝居との関係。
昔、芝居を習っていた頃、講師の方に「なりきること」と言われたことがあります。
今日ふとそのことが頭に蘇り、なりきることって外国語を喋る時も同じじゃないか?と思いました。
その言語の思考回路に自分を置いて、その言語話者として(その言語話者になりきって)話す。
芝居が役ごとの人格になりきってやるものだとしたら、言語は言語ごとのテンションや思考回路にそって自分を変化させて使われるもの、なのかなと。
言語によって同じことを言うのでも表現方法は様々です。
その違いを味わうのも言語を学ぶ楽しさであると思いますが、その時々の人格(言語格?!)によって自分が変わる楽しさも同時に味わっていきたいと思うのでした。